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 【教育は社会全体で】
 
 学校教育はよくばりです。あれもこれもと、いろんな方面から子どもたちを育て上げようと、授業はもとより、さまざまな活動が取り入れられています。
    基本的に私は、「一人の人間(児童生徒)に、いろいろ与えようと周りの大人が動いたとしても、子ども一人の器の形状や容量は決まっており、どの子どもにも同じものを授けようとしても、その子が受け入れる最大値はすでに決まっているので、たいていの場合、大人の期待に十分副わないことがほとんど」と思っています。
  それがその子の個性そのもので、その個性をそのまま味付けして、生かしていくのが教育するということだと思います。
 
 子どもはさまざまなコトを要求されて、それに応えなければなりません。それが学校現場です。子ども自身が欲しないコトやモノでも、何かしら、教師の要求に応えなければならない。それが教育ということだという人も多いことでしょう。
 
    多くの教育現場では、学校教育を変えると、子どもたちが変わるという錯覚をしている気がしてなりません。教育は学校だけで担うものではなく、社会全体で行われるべきものだと思います。
 
【子どもは自然体で育てる】
 
 子どもたちといっても、それは子ども(一人の人間)一個人の集まりです。一人の子どもを思い通りに育てることなんて、しようとする方がそもそも間違いです。
 
 もちろん、子どもは放任でも過保護でもいけませんが、心から愛情のあるしつけを施し、その子の持ち味を生かして自然に育てることが基本です。親の都合や子どもを取り巻くさまざまな環境で、自然体の子どもの成長が侵されると、子どもはのびのびとは育ちません。どこかに異変が生じてきます。
 
 自然体でその子の個性をそのまま生かしてやることが大事だと思います。
 しつけは必要です。しかし、指図やお膳立て、洗脳、過保護、過干渉、強要、抑圧・・などのあるものは正しい人間教育とはいえません。
 
 自然体であわてずじっくりと慎重に、その子の個性を伸ばせるように支援する…がいいと思っています。
 
  【波に乗れない子】
    昨今、自然体で育っていない子どもが増えています。中でも顕著なのは、今の学校教育の波に乗れず、不登校になったり、非行に走ったり、学校に来てはいても教室に入れない子や、しかたなく席に座って授業の波に乗れない子も少なくありません。中には授業中やテストの時間でも、机に顔を伏せて寝ている子もいます。(注意をしたら解決するような半端な原因ではない、深刻な裏事情が存在していることもあります)
 
 子どもたちをそうした境遇にしているのは、まぎれもなく、そばにいる大人、もしくは社会全体、生活環境です。
 
    学校の内部や教室での子どもたちの様子は教職員しか目の当たりにしないので、世間から見ると学校内のことはいわばブラックボックスでしょう。
 
 学校は、外から見ると楽し気に見えていても、内部はけっこう冷酷で悲しいものもあります。昔のような、先生の言うことをよく聞いて一生懸命に頑張れる子は少なくなっていますし、自分の考えをしっかりと持って行動できる子も少なくなりました。
 
 一人では何にもできず、指示を待つか、指示があっても動けない、返事をしない、できない、コミュニケーションがとれない…etc
 
 学校ではそれを克服するために様々な取組を試みますが、学校のカリキュラムを変えることはかなりの時間と労力が必要です。
 実態を把握し、しっかり計画を立てて継続的な実践をしていく学校教育が理想ですが、毎年スタッフの異動がある上に、共通理解のための会議や打ち合わせは、時間の制約があり十分に行うことはできません。
 教育実践の成果が実態として表れるのはかなり難しい場合が多いのです。忙しいわりに成果は乏しいことが通常なのです。
 
 そして、いろんなことが不十分なまま卒業式を迎えることになってしまいます。
「時間が来れば卒業」は現実です。卒業証書の「中学校の全課程を修了したことを証する」には重みがなく、いわば偽りです。どれほどの生徒が、いろんなことを不十分なままにして卒業式を迎えていることか、現場の教師しか知りえないブラックボックスです。
 
 また、テストも受けられず、学力どころか進路さえ保障されないまま中学校を卒業せざるを得ない子がいることも現実です。学校で、ギューギュー詰めの教育活動を、専門職不足の教員スタッフで推し進めていかなければならないので、理解や取組が不十分でも、時間は先に行ってしまい、授けられるべき教育内容は、遠慮なく子どもの脇を素通りしていることが多いのです。
 
 私は、波に乗れずこぼれそうな遅れていきそうな子どもたちを一人でも救ってやりたい。また、その子の個性をそのまま自然に育てる手助けがしたい。そんな思いでいっぱいです。
 
【MaeL開設の本音】
 私はそんな子どもたちを生み出す社会の一員として、何かできないか、いままでずっと考えてきました。社会を変えたり、その子の親や家庭環境を変えたりすることなど私にはできませんし、そんな権限もありません。なので、私にできる範囲の手助けをしたくて、このMaeL塾を開設しました。
 
 一般的な学習塾のような利益重視の経営ではなく、一人でも二人でも、居場所を提供でき、子どもたちの「生きる力」を育む手助けになれば十分だと思っています。「臨時の駆け込み寺」的な場所と考えられてもかまいません。学力アップは、心の安定がないと決して成し遂げられるものではありませんから、まずはそこをクリアして、次を始められるきっかけにしてほしいと思います。
 
 また、日々学校に通学していても、毎日の授業やいろいろな活動…どれだけ理解や取組が不十分なままその日が過ぎてしまう子どもたちが多いことか。
 その日の不十分な部分を少しでも埋められるように、何かその手助けがしたい気持ちでいっぱいです。
 
 誰しも「勉強が分かりたい」はずです。たとえ特定の教科の特定の単元、分野でもほんの基礎の部分を身につければ、元気が出ます。そこから始まります。
 
 そしてしだいに自分固有の素質を自覚できるようになり、それなりに自分に合った人生(キャリア)を、自分で創ることができるのです。
 「まずは基礎を!」そこができれば何とかなるものです。
 
 このMaeL塾をそのきっかけにしてほしいと思います。
 
 学校現場では一人ひとりを大事にすることは基本中の基本ですが、「最後まで責任を持って」とは言葉のみで、実際は物理的にも最後まで面倒は見られません。大勢の中の一人に合わせて授業を行うことはしませんから…。どこかのタイミングで現場の教師は見切りをつけざるを得ません。
 
 教育を最後まで責任を持って行うのはやはり親(保護者)しかありません。
 
 私はそのほんの一部でもお手伝いできたら幸いと思います。
 
 
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