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【ブラックボックス】・・・・・悲しい現実

 

 学校の授業の実態…

 専門の教師が担当しても、「本気で取り組めない子に対しきめ細かな配慮をして本気にさせる」「やる気を出させる」ことは、並大抵のことではなく、そこに重きをおいて指導する手間は通常はありません。どうしても「一生懸命に取り組んでいる」「やる気をもった」子をリードしていく授業が多くなります。

 

 宿題をしてこなかったり、忘れ物をして授業に参加できていなかったり、また、寝ている子や集中できずにぼーっとしている子のために、放課後残して指導することも、最近はあまりありません。

 そうすると、そのような子にとっては、授業内容はほとんど理解されない、つまり、授業を受けなかったにほぼ等しいことになります。

 

 それを知っていても、我々教師には積極的な取組をする時間がありません。次の学級活動や学年の準備、部活動指導や研究授業、研修や様々な打ち合わせ、会議、問題行動や支援生徒への対応…etc。

 時間に追われ、勤務時間内はもとより、ほとんどの教師は、完全下校時刻後残業をしない日はありません。休日でも自主的に学校に出て仕事すること(出勤にはなりません)も多くあることです。

 普段の授業で遅れている生徒への対応は、物理的に不可能なのです。

 

 また、「やる気」は「やる気を出せ」と言われて持てるものではなく、本人の心の安定や家庭環境、目標があるかないかなど、本人特有の事情に左右されます。私はそれらをすべて含めて本人の特性と考えて、個別対応で指導することが最も有効だと思っています。

しかし現実問題、学校現場にはそれができる場所も時間も体制も十分ありません。ひと昔前までは、小テストの結果で放課後居残り勉強をさせている教師がたくさんありましたが、今の中学校では、放課後は生徒会活動ややむを得ない学級活動以外は、一教師の意思で生徒を個別指導することはほとんどありません。放課後は部活動を優先させる学校がほとんどです。ですから学校現場では、授業についていけず、授業内容をものにできなかった生徒のほとんどが、大勢の中では孤立し、誰も助けてくれず、落ちこぼれたり取り残されたりしていることが、現実にあるということです。

 

 

 一方、「分かりやすい授業をすること」「授業を面白くすること」…これは教師に課せられた永久の課題です。教育課程が何回改訂されようが、これは教師が教師としてやっていくための基本であり、その達成を使命としていかなければなりません。

 

 しかし昨今の学校現場で教師は、一つの授業に対して、果たしていかほどの時間を費やして教材研究や授業準備をしているかです。もちろん、自分の専門教科ならそれ相応の自分の専門的・教育的な力量に比例し、しっかり納得のいく準備をしている教師も多いことでしょう。

 

 しかし、教材準備を念を入れて行うための時間が十分とれないまま授業に向かう教師も多いと思われます。準備といえばプリントを作成し印刷する程度で、分かりやすい授業をするための具体物を作ったり、教材研究をする時間が十分にありません。それらの仕事は、100%担当教師の自主的な取組に委ねられますが、勤務時間内では、他の業務に時間を取られ過ぎ、十分な準備ができないのが現状なのです。

 また、自分の専門でなかったり苦手分野だったりすると、手抜きというと言い過ぎになりますが、軽い準備で50分の授業に臨む教師も多いように思います。あるいは教師自らの体調や個人的事情が関係することもあるでしょう。

 

 十分な事前準備をしないまま授業に臨む、そんな非常識なことが現実にあります。それに加わえて生徒も、予習や復習、宿題をきちんと行い、提出物をそろえ、やる気を出して授業に臨んでいないわけで…。

 

 50分の授業、する側も受ける側も…運動会の玉入れに例えると、受ける籠(生徒)も蓋がしてあったり、動いていたり、逆さになっていたり…、玉を入れる側(教師)も本気で入れようとせず、よそ見をしながら無造作に放り、入っても入らなくてもあまり気にせず、入らないことを籠のせいにしたり…。

 

 酷い話ですが、まんざら嘘話ではない、学校現場は正にそんな現状です。

 

 教師は一般企業と違い、ノルマはない上に自己の実績が給与に反映されることはない職業です。一個人の教師の考えで、50分の授業の中身はどうにでもなります。極論ですが、いい加減な分かりにくい授業をしていても、月給を普通にもらうことのできる仕事です。対象の子どもにとっては不運としか言いようのない悲しい残酷な世界でもあります。

 

 教師の生徒への愛情は個人差があり、仕事内容にも当然反映されます。学校現場で生徒は、まな板の上の鯉のごとく、自由を奪われた上に、直近の教師がいかなる資質・専門性・力量・愛情を持ち合わせているのか、運を天に任せるほかないわけです。

 

 

 

 

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